「情報」は知らないと損をする!とは限らない?2

 早速ですが前回の内容確認をしていきたいと思います。

1 ニュースから情報を集めるときには、自分にとって(  )なニュースが含まれていることに注意が必要です。

2 情報をたくさん集めることで(  )という思い違いをおこしやすくなります。

3 人は、無意識に自分の聞きたい情報だけを選んで聞いてしまうので、自分の意見への(  )を意図的に探すことが大切です。

4 人は何かできごとがあったときに、振り返ってそれらしい原因を見つけて(  )という錯覚をしてしまうことがあります。

回答例

1 無関係  2 わかった(理解した)  3 反論  4 わかっていた

いかがでしたでしょうか?それでは今回も そこで今回はロルフ・ドベリさんの『ニュースダイエット』で情報について学んでいきたいと思います。

取り出しやすい情報は便利屋

 何かを考えるときに、自分が取り出しやすい情報を利用することが多いです。

 これを「利用可能性バイアス」とよびます。

 このバイアスによって、たくさんの情報を仕入れていたとしても、

・目の前の情報

 →最近のニュースなど

・すでに頭の中にある情報

 →昔から何度も使用している思考など

・よく覚えている情報

 →印象が強いニュースなど

 そのため、何か直近で起きた出来事や大きな話題になっているニュースを聞くことで、自分にとっては大きな影響を与えないにもかかわらず判断の根拠になってしまっていることがあります。

 重要ではあるが、時間がかかるような情報については「利用できないもの」「もともとなかったもの」として扱われてしまいます。

目の前に「ない」重要なことがないか?

 世の中にその時流れているのは、そのときに起きた出来事についての情報が多くなります。

 あたりまえのことではありますが、これにより今現在は起きていないが、重要であることについての情報が扱われなくなります。

 日々の情報では

 「事件が発生!この事件を解決に導いた人物にインタビュー!!」

 このパターンはよく見られます。

 一方で、事件が全く起きていないという情報は流れることが少ないかと思います。(もしかすると、流れていないかもしれません。) 

 本来は「事件が起きて解決した!」よりも「事件が起きていない」方が価値が高いはずです。

 このように、流れてくる情報だけに注目していると、起きていないこと、未然に防ぐことの重要さが見えてこないということが多くなります。

「自分の意見を持つことが大切!」か?

 正確な情報を元にして、自分の意見を持つことはよいことです。しかし、すべての情報に対して自分の意見を持つ必要はありません。

 ふと聞いた、たいした興味がなく、自分にとってもほぼ関係のない情報について「つい」意見を言っていることがあります。

 時にはふとした自分の意見から火がついて、感情が高まり、気がつくと他の人と意見を戦わせていた・・・という状況になっていることさえあります。

 そもそも、意見を持つことに意味のない場面すらあります。

 たとえば

 ・知ることができないことに対しての意見

 「来年の冬はよい気候になるでしょうか?」

 このようなテーマで友人と話をすることは楽しいかもしれません。しかし、このテーマについては誰もどうなるかわかりようがありません。

 

 ・複雑すぎる問題に対しての意見

 「これから○○年間の間に、□□が起きる可能性についてどのように感じますか?」 

 このような、確率が0%以上100%未満の複雑な問題に対しては、人は自分の立場を明確にしたがります。

 さらに、自分の立場を決めたあとに、その立場を裏付ける根拠を探し出してきます。

 

 意見を持つことは大切ですが、すべての問題に対して意見を持たなければ!と考える必要はありません。

たくさんの情報に流されて

 ものごとを考えるためには「集中力」が必要です。

 そこで注意が必要になってくることは、「情報」を集めようとしたときに「集中」をさせないようなしくみになっていることがある点です。

 たとえばテレビのニュースから情報を得ようとしたときには、そのニュースだけではなく続きも見てもらうための工夫がされています。インターネットでの情報収集でも、自分に興味がありそうな情報がどんどん流れてきます。

 こうなると時間はどんどん消費されていってしまいます。

 情報はこちらから探しにいく必要があります。情報がこちらを探して「この情報を見て!」という時には気をつけなければいけません。

自分はどんな存在だったっけ?

 人々は色々なことに「ヒエラルキー」とよばれる上下関係を形成します。

 仕事上の組織であれば上下関係があることがほとんどです。しかし、仕事だけではなく普段の生活でも、遊びであっても上下関係が生まれていることがあります。

 自分の周囲で起きることであればまだ仕方がない面もあります。

 これが、SNSを見ることによって世界中の人と自分を比較して、上だ下だ・・・と考えてしまうのです。

 つまり、たくさんの情報を集めると、SNSに存在する「スゴイ人」と自分を比較してしまうので競争相手は世界中のみなさんということになってしまいます。

 その結果、自分をたいしたことのない人物だと感じてしまうとストレスレベルが高くなり、幸福度が低下してしまうということがおきます。

自分の力ではどうしようもない・・・

 自分の周辺だけではなく世界規模のニュースが簡単に入手できるようになったことで、「自分の力ではどうしようもないレベル」の情報が日常的に入ってきます。

 このような、自分ではどうしようもないと感じることを連日聞いていることで「学習性無力感」という状態になってしまうことがあります。

 学習性無力感とは、自分ではコントロールできない状況にふれ続けていると、行動しようという意欲が失われて受け身の姿勢になってしまうという現象です。

 しかし、本来「自分ではコントロールできないようなこと」についてどうにかしようと考えてもしかたがないことです。

 「50年以内に大地震が起きる可能性があります!」と聞いても解決策を見出すことは不可能に近いです。

 だからこそ、自分が影響を及ぼすことができることだけに注意力をそそぐことが大切です。

 この場合であれば自分でも可能な「防災」に力を入れる方が「地震を止めるには」ということに力を入れるよりも現実的だということになります。

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