信頼できますか?5

アメリカ産米の輸入拡大と関税交渉—日本農業と国産米のおいしさへの信頼を保護するには?

私たちは日々、多くの「見えない選択」をしています。
たとえば、スーパーで米を買うとき。袋に「新潟産コシヒカリ」と書かれていれば、「これはおいしいだろう」「安心できる」と無意識に判断している人は多いのではないでしょうか。


しかし、その判断の根底には「国産米=高品質で安全」という“信頼”があります。そしてこの信頼は、長年にわたる日本の農家の努力や、厳格な品質管理の積み重ねによって築かれてきたものです。


今現在アメリカ産米の輸入拡大と、それにともなう関税交渉が加速する中で、価格競争の波が日本の米市場にも押し寄せてきています。

外国産米が輸入されることによる日本への影響はどのようなことがあるのでしょうか?

そこで、今回もデイヴィッド・デステノさんの『信頼はなぜ裏切られるのか 無意識の科学が明かす真実』で「農業への信頼」について考えていきたいと思います。

「安い米」の良さとは?

消費者にとって、アメリカ産米の魅力は何といってもその「価格の安さ」です。しかし、価格が安いという理由だけで私たちはそれを選ぶべきでしょうか?

実は、私たちが他人の誠実さや信頼性を見抜くのが難しいように、商品に対しても一見して本当の価値を判断することは困難です。


人間が他人の嘘を見抜ける確率は、研究によると「偶然をわずかに上回る程度」だと言われています。

つまり私たちは、目の前の情報だけを見て、正しい判断ができるほど万能ではありません。

単独の仕草からは相手の心は読み解けないのと同様に、「価格」だけでその米の価値や信頼性を測ることもできません。


国産米には、土壌・水質・品種改良・気候との相性・農家のノウハウなど、目に見えない多くの要素が詰まっています。

そして何よりも、「おいしさ」への追求と、「信頼される食」をつくるという農家の誇りがあります。

行動と信頼の関係

では私たちは、何を基準にして米を選ぶべきでしょうか。
この問いは、実は「誰を信頼するか」「どの行動を信じるか」という問いに通じています。

心理学では、人が不誠実である可能性が高いとされる非言語的サインとして、次のような仕草が知られています:

  • 腕を組む
  • 体をそらす
  • 顔や手に頻繁に触れる

ただし、これらも単体で見れば「ただの癖」とも取れます。

重要なのは、複数の行動をセットで観察し、その背後にある意図を読み取ること。それと同じように、国産米の「値段」や「産地表示」だけではなく、その背景にある文脈や姿勢を読み取ることが必要です。

信頼を守るには「ゼロから考える勇気」も必要

現在の輸入交渉や自由貿易の波は、確かにグローバルな視点から見れば合理的な側面を持っています。

より安価な米が流通すれば、家計を助けるという意味ではメリットもあるでしょう。

しかし、長年築き上げてきた「食への信頼」や「地域農業への敬意」を守るためには、一時的なコストだけではなく、より大きな視野が必要です。


複雑な問題に直面したとき、最良の方法は「知っていることを一度捨て、ゼロから考え直すこと」。

この言葉は科学者だけでなく、私たち消費者にもあてはまります。

私たちは、どんな社会で、どんな農業を支え、どんな「おいしさと信頼」を未来に残したいのか?


その問いに正面から向き合うことが、単なる経済合理性では測れない価値を守る第一歩になるはずです。

守るべきところ、変わるべきところ

信頼は、築くのに時間がかかり、壊れるのは一瞬です。


アメリカ産米の輸入が増えることで選択肢が広がるのは歓迎すべきことかもしれませんが、その一方で「国産米への信頼」を守るための制度的配慮と消費者の意識が、これまで以上に求められています

輸入が増えることに対して、良い点もあれば悪い点もある。このようにどのような話についても良い点と悪い点はあるものです。

私たちは、米という毎日の食卓に欠かせない存在を通して、「信頼とは何か」「本物とは何か」を考えるチャンスを得ているのかもしれません。


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