信頼できますか?6
国産米への「裏切り」なのか?—新潟の農家が直面する、アメリカ米輸入・関税交渉と“信頼”のゆくえ
スーパーで米を買うとき、私たちは「新潟産コシヒカリ」などの国産米に自然と目を向けます。
そこには「おいしさ」や「安全性」への信頼があるからです。この“信頼”は、ただ単に米が美味しいから生まれたわけではありません。長年にわたり、農家が土を耕し、天候と向き合い、失敗と成功を繰り返してきた結果として築かれたものです。
しかし、今その信頼が、経済交渉の名のもとに揺らごうとしています。
アメリカとの間で進む米の輸入拡大と関税の見直しは、日本の米市場を大きく変える可能性があります。
特に、新潟のようなコメどころの農家にとっては、「まさかこんな形で裏切られるとは」という思いも強いかもしれません。
そこで、今回もデイヴィッド・デステノさんの『信頼はなぜ裏切られるのか 無意識の科学が明かす真実』で「信頼」について学んでいきたいと思います。
信頼は「共通点」から生まれる
心理学の研究によれば、人は「自分と似ている相手」により強く共感する傾向があります。同じ趣味、同じ地域、同じ言葉を使う者同士に親近感を抱くのは自然なことです。
新潟の米農家と消費者の関係も、このような共通の文化や価値観によって支えられてきました。地域の米を食べることは、単に味の問題ではなく、「地域を支える」という感覚とも結びついているのです。
それだけに、アメリカ産米が安く大量に流通することで、もし国産米が淘汰されるようなことになれば、私たちの「地域との絆」が弱くなっていってしまうことになってしまいます。
バーチャルな評判より「動機」を見る
現代では、ネットのレビューやメディアの評判が消費行動に大きな影響を与えます。
しかし、本当に信頼できる選択をするためには、「評判」だけでなく、その裏にある動機を見極める力が必要です。
たとえば、アメリカが日本に対して米の関税引き下げを求める動機には、自国農家の保護や貿易赤字の是正といった経済的事情があります。
一方、日本の農家は、単に利益のためではなく、「品質」や「伝統」を守るという強い使命感で米を作っている人もいます。
相手を信頼することができるかどうかを見極めるとき、動機に目を向けることは極めて重要です。
裏切りは「不誠実」の連鎖から生まれる
人は、自分の不誠実なふるまいを言葉巧みに正当化する傾向があります。
「経済のため」「仕方ないから」と自分に言い聞かせ、無意識のうちに大切なものを手放していることもあります。
たとえば、私たちが「安いから」という理由だけで輸入米を選び続ければ、それは結果的に国産米を選ばないという行動=「農家を信頼しない」へとつながっていくのです。
本来、信頼とは長期的な関係性の中で築かれていくものです。目先の利益(安さ)に飛びつくのではなく、長期的に自分や社会にとって何が重要かを見つめ直す必要があります。
自分を信頼する力と、未来の選択
信頼は他人に向けるだけでなく、自分自身にも向けられるべきものです。
「誘惑されそうな状況を想定して、あらかじめ避ける」という力が、自分を信頼するためには不可欠です。
これは、たとえば「安い輸入米を買いたくなるかもしれない」という自分の気持ちを理解したうえで、「でも、国産米を支えることの意味を考えよう」と踏みとどまる、そんな選択です。
私たちは、こどもに失敗を経験させないようにすると短期的には安心しますが、それが長期的には打たれ弱さにつながるように、失敗や損を恐れすぎないことも大切です。
信頼関係や誠実さを守るには、時に「不便さ」を受け入れる勇気も必要です。
農家の努力を、信頼で守る
米はただの主食ではありません。それは地域の文化であり、農家の人生の結晶でもあります。
もちろん、努力をしているのは日本の農家だけではありません。海外の農家も日々努力を積み重ねています。
その中でも、新潟の農家が、朝早くから土に向き合い、季節の変化と闘いながら米を育てている。その姿を想像するだけで、私たちが「どの米を選ぶか」という行動が、どれだけ意味のあるものかが見えてきます。
信頼は人生のほぼすべてに関わります。だからこそ、私たちは“安さ”や“評判”の背後にある動機や物語を見つめ、選択を大切にしていく必要があるのです。
